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極私的乱読記
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しがみつかない生き方
2010年07月13日 (火) 16:18 | 編集


『しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』
香山 リカ

大多数の人々はいまさら言挙げするまでもなく、著者の言うような「ルール」をただ黙々と生きているはずだ。勝間和代などは最初から少数派に決まっていて、マスコミ的に声が大きいだけの話だ。著者の苛立ちは勝間を代表とするベストセラー本に対するものというよりも、「ふつう」ということがなかなか言語化しえないことにあるのだろう。

正法眼蔵随聞記に学ぶ
2010年06月29日 (火) 17:19 | 編集


『正法眼蔵随聞記に学ぶ―若き道元のことば』
鈴木 格禅

▼極私的抜粋メモ
私どもは我がはからいによって生きているのではありません。私のはからいは生かされた後の出来事であります。背丈が伸びるのも、髪が白くなるのも、心臓が動き血液が流れ、私どもの身体を作り上げている幾百億、幾十兆という細胞の一つ一つが、それぞれの任務を果たして新陳代謝してゆくのも、我がはからいや私の思想や信念においてなされているのではありません。私どもは髪の毛一筋、爪一枚、自分ではどうすることもできません。この根元の事実に人間的な善悪の対立もなければ是非の戦いもありません。その善悪も是非もない事実に己れのすべてを任せきること、それが不為すということであります。

座禅は日常的な私以前の立場に帰ることであり、私のはからいのない、つまり是非善悪のない私自身のいのちの世界を、この身と心において、そのまま顕わにすることであります。私自身は、もともとはからいのない、そして、はからうことのできない事実によって、ここに生かされています。ここでは、そのはからうこともできない私自身の根元的な生の事実を、自己の正体と言っています。その事実を私の全心身をもって今ここに実現する。それをおいて他に仏道として求めるものはない、と道元禅師はここに結論されたのであります。

歎異抄の謎
2010年06月28日 (月) 13:33 | 編集


『歎異抄の謎』
五木 寛之

『歎異抄の謎』というタイトルが本書の最大の謎。
歎異抄にはわかりにくい部分があると著者は言うが、それは歎異抄が信仰の書であって、信仰を共有しない者には当然わかりにくいということだろう。
この本を読んで歎異抄の「謎」が解けるわけではもちろんない。

本書は、著者による序文、歎異抄の現代語訳、原文、川村湊との対談の四部構成。現代語訳はなぜこういう訳文にしたのかという解説がないと、なおさら意味不明になると思われる。
少なくとも、本書を読んで歎異抄について何かがわかるということはないだろう。

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